こんにちは。
アンチエイジングアドバイザーの遠藤幸子です。
お付き合いいただきまして、ありがとうございます。
サイトの更新が滞りがちで申し訳ありません。
私は、現在執筆業を中心の活動していて、月間30本ほどのコラムなどをウェブサイトに寄稿しています。
※下の画像をクリックしていただくと、それぞれのサイトで執筆した私の記事をご覧いただくことができます。
このほか、単発でコスメブランド等の広告のお仕事やメディア出演、最近では@cosmeの姉妹サイト、A-beautyにも新作エイジングコスメをお試ししたコメントなどを掲載させていただいています。
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そのようなワケで、仕事で執筆するのと同じようなネタはこちらで書くワケにもいかず、また、時間に余裕がないこともあって更新が滞りがちです。。
週に何度も訪れてくださる読者の皆さまには心苦しい限りです。
そこで、今後は日常生活のつぶやきも含めてもっと気軽に更新していきたいと考えています。
もちろん美容中心の内容にしようとは考えていますが、マイブームなど私自身の日常も含めてお話しさせていただきたいと思っています。
今回は第一弾ということで私自身のこと、「書くこと」を仕事にするまでのお話をしたいと思います。
最後までお付き合いいただけましたら幸いです。
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Contents
子供の頃の夢は「小説家」
私は子供の頃、いつも友達と外で遊び、冬はスピードスケートをやっていたこともあって年中真っ黒でした。
活発で小学校低学年の頃は、子分(男の子ばかり)を引き連れて木登りをしていたことも。
そんな私を両親は枠にはめようとはせず、伸び伸びと育ててくれました。
人が首をかしげるようなところがあったとしても個性のある子に育てたい、というのが父のモットーでした。
人が首をかしげるようでは困ると思うのですが(苦笑)。
子供の頃の私は相当変わっていたと思います。
国語の授業で教科書を読んで、と先生にあてられると、なぜか一言も発しない。
先生がどうしたのか、と問うと、心の目で読んでいると答えたと言います。
これは読書好きで幼稚園の頃から自分で本を読み漁っていた私が声を出して本を読むのに母が耐えかねて、黙読をさせたことが関係していました。
このほか、給食には、いか刺し(好物でした)が出ないのか先生に質問し(笑)、初めて給食で食べたたくあんをレモンの漬物と呼んで、あまり好きではない母に買ってくれるようせがんだりしました。
父は仕事で常に忙しく、日曜もどこかへ連れて行ってもらった記憶がほとんどないほどでしたが、私の珍エピソードを夜遅くに帰宅して母から聞くのを楽しみにしていたそうです。
そんな私でしたが、学校の成績はよかったこと、妙にしっかりした子供であったことなどから学級委員長や児童会・生徒会の役員を務めたりしていました。
とても変わった子であったのにも関わらず、いわゆる優等生の部類に属していたことは今考えても不思議です(笑)。
私の読書量は子供の頃からすさまじく、新品の本を購入したのではおそらく我が家の家計を圧迫するほどだったと思います。
ですから、母は毎週図書館に通って、私が好みそうな本を借りてきてくれました。
小学生の頃に読んだ本は、宮沢賢治のものをひと通りと歴史上の人物の伝記、アガサ・クリスティ、赤川次郎など。
どれも夢中になって読んだ記憶があります。
ちなみに、幼稚園の頃の私の愛読書は恐竜事典。
どこに行くのにも持ち歩き、それに掲載されている恐竜の名前をすべて覚えていたので、ほとんどの大人に気味悪がられました(笑)。
当然のことです。
そんな私の小学生の頃の夢は、「小説家」。
当時大好きだった赤川次郎さんが高額納税者番付の常連だったことも関係していたと思います。
小学生の頃の私は、住んでいた地方自治体が主催する作文コンクールに入賞したりしていたので、無謀な夢ではないと密かに思っていました(笑)。
今思うと、恐ろしいほどうぬぼれが強かったのですね。
私が多少なりとも子供の頃に文章力が人よりあったのは、読書のお陰と、小学1年生からずっと続けていた日記のお陰だと思っています。
小学3年生くらいの頃には、瞬時に文章を頭の中で組み立てて、それを人前で発表するという能力には長けていました。
その能力が花開いたのは、中学生の時。
校内の弁論大会に3年連続出場(学年で2名選出され全校で行われました)し、3年生の時に最優秀賞をいただきました。
それでもそういったご褒美は、ごく限られた小さな世界でのこと。
それに気が付かず、私は大きすぎる夢や期待に胸を膨らませていました。
ちなみにこの頃の夢は、小説家ではなく、弁護士。
初めて現実を知って大きくつまづいた高校時代
高校入試を経て、地元では進学校と呼ばれる高校に入学しました。
初めての入試を経験して、今思うと不思議なほどの達成感を感じていました。
エスカレーター式の学校に進んだわけではなかったので、大学受験が待っていましたが、まだ遠い先の話だと考えていました。
そこで、まずは高校生活を楽しむことに。
部活はテニス部に入りました。
朝連や土日の練習に加えて、とにかく毎日長距離を走らされる日々。
帰宅すると、もうクタクタでした。
高校一年生の頃の私の志望校は、金沢大か東北大の法学部(当時は決して無謀な志望校ではありませんでした)だったので、勉強も頑張らなくていけませんでした。
けれど、あの頃はとにかくクタクタで、やたらと眠かった!
机の上に枕を置いて寝てばかりいた結果、私の偏差値は10以上下がり、国立大学を受験するなら教育大や教育学部の5科目以外の科目を専門とする学科でなければ難しいほどでした。
結果、センター試験を失敗し、滑り止めと考えていた大学に落ちる始末。
努力を怠った私に、父は浪人NGの印籠を渡しました。
そこで、私は地元のあまり気の進まない大学へ行くか、国立大学に落ちたら行くつもりだった地元の大学(それさえもうっかり落ちていました。)へ編入できる可能性がある短大へ行くかの二択で悩みました。
そして、結局後者を選択したのでした。
ちなみに私が進んだ短大の出身者には大黒摩季さん、編入試験は結局受けませんでしたが編入試験を受けるつもりだった系列大学の出身者には中島みゆきさんがいました。
小さな頃からそれなりに親の期待に応えることができていた私は大学受験に失敗して初めて大いに親を失望させ、自分自身も大きな挫折感と後悔を味わいました。
おそらくこれが、人生で初めての挫折だったと思います。
この頃にはもうなりたいものになれるはずはない、そんな風に現実を冷静に見つめていました。
紆余曲折を経て美容ブログを開設
短大を卒業した私は、結局当初の目標だった大学への編入試験さえ受けずに、一般企業に就職しました。
軽い気持ちで教師になることを考え、2度ほど受験した教員採用試験は努力不足もあって不合格。
それでもその時々のベストを目指した私は、生命保険会社の一般職(事務)として就職することができました。
その頃は、小娘にも関わらず、収入もそこそこよかったので、友人と海外へ行ったり、高級ブランドやデパートのハイブランドのコスメを買いあさっていました。
仕事がとても忙しかったので、そういうことでストレスを発散していたと思います。
そして、そこで出会った夫と結婚。
2人に子供にも恵まれ、専業主婦として10年近くの時を過ごしました。
そんな私に転機が訪れたのが、33歳の頃。
下の娘が幼稚園に入園するかしないかというくらいの頃だったと思います。
その当時から既に一端の美容通で、友人におすすめのコスメを聞かれたり、知人が関わっているコスメブランドの商品に対する意見を求められたりしていました。
20代の前半くらいから美容に強い関心を持ち始めた私。
スキンケアやメイクに夢中になるだけでなく、それを販売するデパートやブランドにも興味を持ちました。
友人たちの誰よりもコスメに詳しく、デパートをこよなく愛していた当時の私(今も大好きですが。)は、デパートのコスメフロアをプロデュースするような仕事をしたいと思いながらも、実際に行動に移すことはなく、デパートやコスメブランドのまるで評論家のように、そういったものに対する批評を友人や家族に熱く語っていました。
みんな感心してくれて、「そんなデパートがあったらいいね!」「そんなコスメがあったら欲しい!」と言ってくれましたが、企画書等は作ったことがなく、どれも机上の空論でした。
そんな私に1人の友人がこんなアドバイスをしてくれました。
「そんなに美容やコスメに詳しいならブログを始めて、それをたくさんの人に向かって発信してみたら?」
今までそんなことを考えたことがなかったので戸惑いましたが、何事も始めてみなければ何も起こるおこることはないとブログを書いてみることにしました。
そうして、20代の頃からアカウントを持っていた日本最大級のクチコミサイトである@cosmeの姉妹サイト、@BEAUTIST(現@beautist)にブログの投稿を開始。ほぼ同時期にココログで美容ブログをスタートさせました。
※このブログはこちらのサイトへ引越ししたため、現在は更新していませんが、画像をクリックしていただくとバックナンバーをご覧いただくことができます。
ちょうどそのくらいの頃に@cosmeの姉妹サイトである@BEAUTISTでは、編集部公認のビューティストを募集していました。
ビューティストとは、美意識の高い人を指します。
ちなみに1期で公認に選出された方は、年末に行われたベストコスメ賞の受賞式に出席され、著名な美容家の講演会に参加されたり、著名な美容ジャーナリストを交えたオフ会に参加されたりと華々しく活動されていました。
どなたもカリスマ性のある方ばかりだったので、自分には相当ハードルは高いと思いましたが、2期目の編集部公認ビューティストに認定していただくことができました。
そして、私はこの時に編集部の方につけていただいたキャッチ「エイジレスビューティ」と、この@cosme公認ビューティストという肩書きを最大限に活かして活動を始めたのでした。
毎日美容ブログを更新しながら資格を取得
ブログでほぼ毎日のように美容情報などを発信をしながら、まずは資格を取得することに。
私はアンチエイジングに高い関心を持っていたので、アンチエイジングに関する確かな知識を身につけたいと思いました。
しかし、札幌在住の私には、学べる場は非常に限られていました。
また、その頃はまだ下の娘が幼稚園に通っていたので時間的にもあまり余裕はありませんでした。
資金面でも夫の協力を全く得られなかったので(海のものとも山のものとも思えないものにお金は出せないと言われました。当然ですね。)、資格を取得するための資金も自分で確保しなければいけませんでした。
そこで、私は子供たちが学校や幼稚園に行っている間にできる単発の仕事を探して、まずは資金を確保。
約10年ぶりくらいに働いて、自分で得たお金は1ヶ月で10万円にも満たない金額でしたが、それでもとても嬉しいものでした。
資金を得た私は、通信教育を申し込みました。
ブログの更新を毎日のように行いながら、育児や家事をこれまで通りに行い、空いた時間のほぼすべてを通信教育で学ぶ時間に費やしました。
それは今振り返ってみてもなかなか大変なことでした。
それだけに、そう難しい試験ではなかったものの、最後の試験に合格して認定証をいただけた時は本当に嬉しくて。
その時に取得した資格が、「JAM アンチエイジングアドバイザー」です。
夢だった「書くこと」を仕事に
最初は原稿料無料の隔月連載からスタート
アンチエイジングアドバイザーの資格を取得する前の私は、個人的なカウンセリングを行ったり、@cosmeとコスメブランドのタイアップ企画に参加させていただいたり、コスメブランドにお声がけいただいて商品モニターをし、レビュー記事を書くといった活動を行っていました。
しかし、それらの活動による収益は微々たるもので、好きな美容に関する仕事をしているとは言い難い現状でした。
その頃は、とにかく美容ライターになりたいと思っていたので、「書くこと」を仕事にする方法を模索していました。
そんな時、福祉関係の月刊誌の編集責任者の方からご連絡をいただきました。
隔月連載で記事を書いてくれないか、というのです。
まだアンチエイジングアドバイザーの資格は取得していなかった頃なので、「私でいいのですか?」と逆にお伺いしたくらい。
「原稿料は差し上げられないので心苦しいのですが、ぜひお願いしたいのです。」というお言葉をかけていただきました。
現在ではご縁がなくなりましたが、その月刊誌には医師の先生やテレビや雑誌で活躍する料理研究家の方なども執筆されていたので、身が引き締まる思いがしました。
私はお声をかけていただいたことを光栄に感じながら、二つ返事でそのお仕事をお受けしました。
原稿料1,000円のウェブライターになり、夢がようやく形に
その後アンチエイジングアドバイザーの資格を取得したことでウェブサイトのライターになることができました。
最初に契約させていただいたサイトの原稿料は1本1,000円。最初の月は5本からスタートしました。
なので、初月の原稿料の振り込みは5,000円。
それでも、初めて好きな仕事をして受け取ったお金だったので、飛び上がるほど嬉しかったのを覚えています。
最初は自分から応募してご縁をいただくことが多かったライター業もスカウトしていただくようになりました。
報酬も何倍、何十倍というように上がっていき、執筆本数も大幅に増えていきました。
多くの方にご縁をいただき、また、ご指導もいただいたことで最初はブログ程度の内容であったコラムが、様々な裏付けを元にしたコラムへと成長していくことができました。
そして、雑誌に出演させていただいたり、美容研究家としてもテレビのインフォマーシャルやラジオに出演させていただく機会に恵まれるようになりました。
どんなお仕事もただひたすら全力投球し、いただいたご縁は大切にさせていただきました。
その姿勢は、今も変わっていません。
そういった活動の合間にもスキンケア協会認定のスキンケアアドバイザーの資格を取得したり、日本抗加齢医学会の正会員に登録させていただいたり、プロのメイクレッスンを受けたりと自分の知識や自分自身を高める努力を忘れませんでした。
私の夢はまだ走り出し、ようやく軌道に乗ってきたばかりだと思っています。
これからも自分の美容道に邁進しつつ、感謝の気持ちを忘れずに努力し続けたいと思います。
自分の好きなことや思いついたことをまず始めてみて!
私は今の仕事に就くまで専業主婦でした。
社会で働いていた時も生保や損保の事務の経験が数年あるくらいで、美容とは縁のない職業に従事していました。
そんな私でも美容研究家や美容ライターとして、「書くこと」を職業にすることができました。
私の場合多くの方にご尽力いただいたことが現在に繋がっていますが、それでも友人のあの時の一言がなければ、美容ブログを始めてみなければ、今の私はなかったと思っています。
今回、なぜこれほど赤裸々に自分の体験や歩んできた道をお話することにしたのかというと、かつての私のように好きなことを仕事にするにはどうしたらいいのかわからない、今の自分に迷いを抱えているという方に対して、何かしらのヒントをお伝えできるのではないかと思ったからです。
やりたいこと、迷っていること、まずは今の自分の思いを紙に書き出してみてください。
そして、なりたい自分を想像してみて!
なりたい自分になるために、自分にできることも考えてみましょう。
始めなければ、思い立たなければ、何事もなしえないし、何者にもなることができません。
経験がないから、忙しいからと諦めないで!
私もまだ39年しか生きていませんが、これまで歩んだ人生があっという間であったように、人の一生は思うよりももっと短いのだと思います。
だから、後々悔いることがないように、今できることから始めてみませんか?
もしかしたら、人からは順風満帆に見えるかもしれない私のお仕事も、小学生の子供がいること、札幌に住んでいることで思うような活動ができず、悔しい思いをしたことも多々あります。
上京するのは大抵1年に1、2回程度なので、せっかくお誘いいただいたコスメブランドなどの新作発表会にはなかなか参加できませんし、執筆させていただいている媒体のライター会議にもいまだに参加したことがありません。
同業者の方や日頃お世話になっている執筆媒体の担当の方ともお会いする機会がなかなかとれずにいます。
それでも、今は子育ての時間を大切にしながら、地道に活動の場を広げていく時と考えています。
今は自分に力をつける時だと考え、数年後になりたい自分をイメージして、理想を実現させるためにやるべきことをひとつひとつ行っているところです。
そのようなワケで、近々また新しい資格を取得しようと考えていますし、長年温めてきたデパートへの企画書も今年こそは提出してみたいと思っています。
ツテがあるわけではないので、ほとんどダメもとですが(笑)。
何事も動かず、努力せずに諦めることだけはしたくない、といつも思っています。
一度きりの人生、大いに楽しみながら自分らしい花を咲かせたい!
そして、強く願って懸命に努力すれば道は開けると、私は信じています。
さあ、皆さんも今日からぜひ何かを始めてみていただきたいと思います。
なりたい自分になるために、自分をもっと好きになるために。
長くなりました。
最後までお付き合いくださったすべての方に、心からお礼申し上げます。
そして、いつもこのサイトをご覧くださる方に重ねてお礼申し上げます。
いつもありがとうございます!
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